#173 吉田大八監督映画「敵」ネタバレ感想:敵の正体は〇〇?!孤独と老いを描く衝撃作を徹底考察したらパーフェクトデイズと比較されるのも納得
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2025年1月17日公開の吉田大八監督作品「敵」を鑑賞しました。本記事ではネタバレを含む感想として、あらすじからテーマの深掘りまで徹底的に考察していきます。
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目次
あらすじ:平穏な老後を襲う不穏なメッセージ

大学教授を退職後、妻に先立たれ、祖父から受け継いだ日本家屋で一人暮らしを送る77歳の渡辺儀助。規則正しい生活を送り、自炊をこなし、持ち物を丁寧に扱う日々。友人との交流や教え子との食事を楽しみ、預貯金の残高を計算しながら平穏な日々を送っていました。しかし、ある日、書斎のパソコンに「敵がやって来る」という不穏なメッセージが表示されるのです。
ネタバレ考察:「敵」の正体とは?三つの予想と深層心理
「敵とは何か」という点について、私は2つの予想を立てました。
- 本当に何らかの敵がやってくる。
- 敵は実在せず、妄想(認知症)、孤独、死が敵の正体である。
特に注目したのは「孤独」です。共通の知人が制作した「その病の名は」という作品を思い出し、孤独の恐ろしさを改めて感じました。
儀助は孤独、老い、認知症といったものに直面し、それに対する恐怖を「敵」として表現したのではないかと考えました。他の人の反応を見ても、この予想は的外れではないようです。「敵」を一言で言い表すのは難しいですが、漠然とした不安、不確実性といったものがその正体かもしれません。
「敵」との対峙:逃避と受容
儀助は最後に「敵」に立ち向かいますが、それは「追われた」感覚でした。かつて自殺を試みたのは、「敵」から逃れようとした時でした。物語が進むにつれて「敵」は周知の事実となり、噂話として広まり、泥だらけの兵隊や略奪者のような具体的な姿を現すようになります。
夢と現実が混ざり合い、儀助は極限状態に陥ります。「敵」が何だったのかは明確には示されませんが、観る人それぞれの解釈に委ねられています。共通しているのは「逃げたら勝てない」ということ。立ち向かうことで、何かしら良い方向に向かうのかもしれません。儀助は最後に立ち向かうことで、ようやく死を迎えることができました。これは一つの解釈に過ぎませんが、様々な捉え方が可能です。
儀助の変容:完璧な生活の崩壊
物語が進むにつれて、儀助の完璧な生活スタイルは崩れていきます。苦しむ彼を見て、早く楽になってほしいと願うようになりました。
「敵」とは何かという考察は、認知症などの具体的な病状から始まることが多いと思いますが、吉田監督が描きたかったのは、もっと抽象的な、生きている上で直面する厄介なもの、向き合わなければならないものなのだと思います。
「敵」はライフステージによって変化します。子供の頃は近所のガキ大将や受験、大人になれば世間や税金かもしれません。面倒だけれど向き合わなければならないもの、それが「敵」の正体なのではないかと感じました。
ラストシーンの解釈:雨と春の象徴
ラストシーンでは、家の中に足を踏み入れた瞬間に「敵」のようなものに打たれ、倒れ込みます。
次に、雨が降る岩場のカットシーンになり、儀助が床に座り、足を投げ出し、柱に寄りかかって雨の降る庭を見ている後ろ姿だけが映し出されます。顔は見えませんが、その姿は首を吊っているようにも見えます。その後、「もうすぐ春が来る。春になったらまた皆と会える。早く皆に会いたいな」という儀助の声のようなものが流れ、場面は切り替わります。
ハッキリと死が描かれた訳ではないですが、死の暗示しているのは明白でしょう。
孤独と老い:普遍的なテーマ
儀助は一人暮らしの独居老人として描かれており、その姿には哀愁が漂っています。かつて大学教授という地位にあった人物が、今は一人で暮らしているという状況は、胸を締め付けられます。
「孤独に襲われる」という表現は的を射ており、本作を考察する上で「孤独」という視点は重要です。儀助の好ましくも情けない部分も描かれており、食欲や物欲が衰えても性欲だけは残る、というのは高齢者にありがちな描写かもしれません。
仕事と繋がり:人間の根源的な欲求
仕事は人間にとって必要なものだと改めて感じます。孤独の正体は、「人から必要とされない」という感覚にあるのではないでしょうか。
家族がいれば、誰かが自分を必要としてくれるかもしれません。そうした繋がりを通して、社会の中に自分の居場所を見出すことができるのです。しかし、家族もおらず、仕事もしていないとなると、自分が世間から全く必要とされていない人間のように感じてしまうでしょう。
共感と普遍性:誰もが抱える弱さ
個人的には非常に好きな映画です。孤独に苛まれていく老人の姿を描きながらも、適切なトーンを保ち、温かくも冷たくもなく、少し皮肉を交えながら、人間の混乱を描き出している点が素晴らしいと思いました。
最後の儀助が立ち向かう場面では、心の中で彼を応援し、「もう楽になってほしい」と願っていました。以前観た「ボーはおそれている」と共通点を感じました。ボーの場合は地獄の繰り返しでしたが、儀助には安らかな終わりがあってほしいと願いました。
私の中にもボーのような弱さがあり、どの男性の中にもボーに通じる部分がある、誰もが多かれ少なかれそうした弱さを抱えているという感覚があります。今回の主人公、儀助も同様で、多くの人が彼に共感する部分を持っているのではないでしょうか。男性は皆、どこか儀助のようで、将来自分もこうなるかもしれないという共感を覚える、普遍的な男性像として捉えられる部分があるのです。
人間の本質:年齢を重ねても変わらないもの
世間一般のイメージでは、高齢者は皆穏やかに暮らしていると思われているかもしれません。それが理想であることは誰もが理解していると思いますが、人間はどこまでいっても人間であり、そこで自我や欲望を出してしまうのではないでしょうか。
人間は、年齢を重ねても、人を好きになったり嫌いになったり、人より良く見られたいと思ったりするものです。そうした感情は、むしろ年齢を重ねるごとに強くなっていくのかもしれません。「いい歳こいて」という言葉をよく耳にしますが、あまり意味のない言葉だと思います。
落語的な視点:人間の業と愛おしさ
考察の第一段階としては、老いや孤独、あるいは自分が抱える不安の正体などが「敵」として考えられると思います。
しかし、もう少し俯瞰的に見て、筒井さんの作風も考慮すると、人間の醜態を晒しながらも、そこに愛おしさを見出すという作品として捉えることができるのではないでしょうか。
そう考えると、「敵とは落語であった」という結論で、私は納得できます。これはあくまで一つの見方です。そのような解釈もあるということです。
まとめ:世代を超えて響く普遍的な物語
この映画は本当におすすめです。
若い方が今観ておくと、年を重ねた時にまた違った見方ができる作品だと思います。年齢によって全く異なる感想を持つでしょう。私がさらに10年、20年後にこの映画を観たらどう感じるだろうか、と考えると、20歳の時に観ても、ここまで深く理解することはできなかっただろうと思います。
ぜひ、お近くの映画館で、ご自身の「敵」と向き合ってみてはいかがでしょうか。
吉田大八監督作品で1番好きなのは「桐島、部活やめるってよ」ですが、万人にオススメできるのは「騙し絵の牙」かなと思います!