#213 映画「エディントンへようこそ」ネタバレ感想編:アリ・アスター監督が描くパディントンならぬ地獄の町へようこそ
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パディントンみたいなタイトルだけど、もちろんアリ・アスター映画です
映画『エディントンへようこそ』を観に行こう。
……なんですか、このパディントンみたいなタイトルは。きっと楽しい映画なんでしょうね。
そんなわけないじゃないですか。
監督はアリ・アスターです。
『ミッドサマー』『ヘレディタリー/継承』で知られる、あのアリ・アスターの最新作。今回この映画を観てもらったので、感想を聞きつつ作品の印象を整理してみたいと思います。
目次
あらすじ:コロナ禍の小さな町で起きる分断
舞台は2020年、アメリカ・ニューメキシコ州の小さな町エディントン。
コロナ禍によるロックダウンで住民たちは息苦しい生活を強いられ、不満と不安が爆発寸前の状態になっていました。
そんな中、町の保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)は、IT企業の誘致で町を救おうとする野心家の市長テッド(ペドロ・パスカル)と、マスク着用を巡る口論から対立します。
この小さな対立は次第にエスカレートし、ジョーは市長選に立候補することに。
さらにSNSではフェイクニュースや憶測が拡散され、町は大炎上状態に。
一方、ジョーの妻ルイーズ(エマ・ストーン)はカルト的な人物の動画に心を奪われ、陰謀論にのめり込んでいきます。
疑念、論争、怒りが渦巻き、暴力が暴力を呼び、真実は陰謀に覆われていく。
こうしてエディントンの町は破滅へと突き進んでいきます。
この映画のテーマ:SNSと陰謀論、そして分断
物語の大きな軸は2つあります。
- 市長選をめぐる保安官と市長の対立
- 妻が陰謀論にハマっていく家庭の崩壊
特に後者は、かなりリアルな描写です。
身近な人が陰謀論にハマってしまう、という状況は現実でも起こり得る話で、見ていてかなりしんどい部分があります。
SNSの炎上やフェイクニュースなど、テーマ自体は今では珍しくありませんが、この映画ではそれが小さな町の人間関係の中で拡大していく様子が描かれています。
「そんなことでここまで大ごとになるの?」
と思うような出来事が連鎖していく様子は、まさに現代社会の縮図のようでした。
予想を裏切るアリ・アスターの展開
予告編では、ホアキン・フェニックスが銃を乱射するシーンが出てきます。
そのため「クライマックスで大惨事になる映画なのかな」と予想していました。
登場人物がまとめてやられてしまうような展開を想像していたんです。
しかし実際は、少し違いました。
もちろん銃撃戦はありますが、アリ・アスターらしく、予想していた方向から少しずらしてくるんですね。
物語の前半から中盤にかけては、小さな対立がどんどんエスカレートしていく様子が見どころになっています。
※ここから先はネタバレです。
保安官ジョーの末路
市長選で劣勢になった保安官ジョーは、追い詰められた末に暴力で状況をひっくり返そうとします。
彼には「銃の扱いが非常にうまい」という設定があり、ついには市長を狙撃してしまう。
しかしその後、罪を隠そうとしたり、別の人物になすりつけようとする中で状況はさらに悪化します。
ブラック・ライブズ・マター系の過激な集団からも狙われるようになり、町の中で銃撃戦が発生。
最終的には5人ほどの武装した相手と戦い、なんとか全員を撃退します。
しかしその過程で頭部に致命傷を負ってしまう。
ナイフで頭を割られるという衝撃的なシーンがあり、ここで終わるのかと思いきや、映画はまだ続きます。
実はジョーは一命を取り留めており、ラストではその後の人生が描かれます。
ただし後遺症が残り、車椅子生活でほぼ介護状態。
それでも彼は市長になっているのですが、実際に政治を動かしているのは義理の母親。
彼は“看板”のような存在として市長の座に座っているだけでした。
妻の結末:皮肉な幸せ
妻ルイーズの結末もかなり皮肉です。
彼女は陰謀論系のカルト人物に惹かれ、最終的に夫の元を去ります。
その理由の一つは、保安官が勝手に市長選に出馬したこと。
夫婦関係の溝が広がっていった結果でもありました。
エンドロールでは、ネット動画のような映像の中で、彼女がその人物の演説の近くにいる姿が映ります。
しかも、彼女はとても幸せそうな表情をしている。
さらに妊娠しているようにも見える。
つまり彼女は、もしかすると自分なりの幸せを手に入れているのかもしれない。
ただ、それが本当に幸せなのかどうかはわからない。
この映画は、そんな皮肉な余韻を残して終わります。
感想:ホラーよりブラックコメディ
全体の印象としては、ホラーというよりブラックコメディに近い作品でした。
むしろアリ・アスター作品の中では
『ボーはおそれている』に近い感触があります。
物語がどこで終わるのかわからない感覚。
「ここで終わりか?」と思うとまだ続く展開。
見ている側としては、
「この話、どこまで行くんだ?」
という気持ちになります。
【リアル・エディントン】本場アメリカの銃事情と、価値観を揺さぶる漫画『鬼ゴロシ』
ここまでは映画『エディントンへようこそ』の魅力と衝撃について語ってきましたが、ここからは少し視点を変えて、【番外編】として筆者の個人的な体験と、本作と合わせて楽しんでほしい作品についてお話しします。
実は、この映画で描かれる「銃」や「人間のどうしようもなさ」は、決してスクリーンの向こう側のフィクションだけではないと感じる出来事があったのです。
1. バッティングセンター感覚?フロリダの驚くべき最新銃事情
映画のクライマックス、ホアキン・フェニックス演じるジョーがガンショップに駆け込み、ギャグのようなスピードで超重装備を整えるシーンがあります。
「いくらなんでもフィクションが過ぎるだろう」
そう笑ってしまった方もいるかもしれません。しかし、現在アメリカ(特にフロリダ州など)に居住している筆者の肌感覚としては、あの描写はあながち遠い夢物語ではないのです。
先日、実際に現地のガンショップへ足を運ぶ機会がありました。そこで目の当たりにしたのは、日本人の常識を覆す光景でした。
- 信じられないほどフラットな入りやすさ: セキュリティチェックもなく、まるで釣具店やスポーツ用品店に入るような気軽さでショップに入れます。
- 「ボウリング場」のような実弾射撃場: ショップには射撃場が併設されていることが多いのですが、その雰囲気が驚くほどカジュアル。デートで来ているカップルが、彼女の前でいい格好をしようと彼氏が張り切っていたり、家族連れがいたり……。まるでバッティングセンターやボウリング場のような娯楽施設のノリで、実弾射撃が行われているのです。
- 映画と地続きのリアリティ: ショップでは数万円から銃が購入でき、軍人出身の友人は「許可さえあれば誰でも買えるよ」とフラットに語ります。
映画の中でジョーが銃器をガシャガシャと扱うシーンも、現地の訓練された人々の動きを見ていれば、「現実でもあり得るスピード感」だと妙な納得感がありました。
『エディントンへようこそ』は現代アメリカの病理を描いていますが、その背景には、こうした「暴力へのアクセスのしやすさ」が日常に溶け込んでいるリアルな土壌があるのです。
2. 「結婚は精神を殺すが青春が死んで人生が始まる:漫画鬼ゴロシにみる人間の深淵
アメリカの銃社会にカルチャーショックを受けた筆者ですが、最近、もう一つ別の意味でカルチャーショックを受けた作品があります。それが、漫画『鬼ゴロシ』(河部真道・著)です。
一見、ヤクザや復讐をテーマにしたバイオレンスアクションに見えますが、読み進めるうちに「とんでもないカルチャーショック」を受けることになります。
この作品の根底に流れているのは、『エディントンへようこそ』にも通じる、人間のきれいごとでは済まされない深淵です。特に、劇中に登場するこのセリフは、本作の皮肉な結末(夫は廃人、妻はカルトで幸せ?)を観た後だと、より一層深く刺さります。

自分とは全く異なる価値観を持つ主人公や、敵役全員がそれぞれの「明るくない信念」を持っている描写。 Kindel Unlimitedなどで読めるので、ぜひ手に取ってみてください。
『エディントンへようこそ』で感情の置き所をなくした精神状態には、この『鬼ゴロシ』が持つ、人間のどうしようもなさと向き合うヒューマンドラマ(あるいは喜劇)のような手触りが、不思議としっくりくるはずです。
まとめ:人間って本当にどうしようもない
この映画を一言で言うなら、
「何一つうまくいかない男の物語」
です。
主人公はすべてを失い、人生はめちゃくちゃになります。
しかしそれを悲劇としてだけではなく、どこかブラックな笑いとして描いている。
見終わったあと、
「人間って本当にどうしようもないな」
と思いつつ、なぜか少し笑ってしまう。
感情の置きどころが難しいタイプの映画ですが、印象には強く残る作品でした。
映画館で体験する価値のある一本だと思います。




