#215 映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」ネタバレ感想編:殺し合いではなく対話と協力を。暗黒森林理論の対極にある、あまりにも眩しいファーストコンタクト
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*ネタバレ全開で話しています。
原作を20時間かけて読んだ人間が映画「プロジェクト・ヘイルメアリー」を見た感想です。
警告も兼ねて原作だけを読んだ時の感想はこちら。
映画を観た後の感想はこちら。
目次
ロッキーが出てくるまでの1時間
結論から言うと、この映画はロッキーと出会ってから本番になります。序盤はカールとの実験シーンや、過去の地上での話が続くのですが、そこはSF感がほぼありません。今の科学でも起こり得る範囲の話しかしていないから、純粋なSFとしての興奮はまだ来ない。ロッキーが登場するまでおよそ1時間かかっていて、初見からすると「盛り上がるまでに少し時間がかかるな」という印象は正直ありました。
原作既読者からすると、その序盤は別の意味で違う体験になります。原作は主人公のモノローグが非常に多い。自分の名前を思い出すまでにかなりの時間がかかるし、「ここはどこだ、宇宙か」と気づくまでのプロセスにびっしりと内省が詰まっています。映画ではそれが数十秒でサラッと流れていく。窓を見て「宇宙やん」で終わりです。原作ファンとしては「テンポいいな」と思う反面、あのロマンの時間が少し惜しかった。
映画でモノローグに一番近いのは、グレースがビデオカメラに向かって喋るシーンでしょう。自分の思考を外に吐き出す、あの感じが原作のモノローグと機能的には近い。ただ序盤はそれもほぼなく、全部すっ飛ばして進んでいきます。2時間半で原作20時間分を畳むのだから、当然といえば当然なのですが。
「バディもの」として点数が高い理由
この映画がよかった理由を一言で言えば、バディものとして完成しているからです。ピンチが来て、2人で乗り越えていく。その繰り返しの中に、少年漫画的な気持ちよさがあります。「ネアカの人が書くSF」という言い方がされていましたが、見終わってその意味がすごくわかりました。
泣いた場面があります。ロッキーが身を挺するシーン。文字通り体を張って、というやつです。あそこは「信じよう」という感情の動きが素直に伝わってきて、こっちの心まで動かされました。
そしてロッキーのビジュアルが、とにかくかわいい。原作では詳しく描写されておらず、あのビジュアルで登場したのは映画が初めてです。話し方のかわいさは原作にもあります。言語がたどたどしく、めちゃくちゃ賢い小学生と喋っているような感覚、と言えば伝わるでしょうか。映画ではそこに「動き」が加わりました。感情を体で表現する、BB-8に近い感じ。スター・ウォーズのR2-D2の後継機みたいなコロコロ感。マンダロリアンのグローグーみたいな「なんか守ってあげたい」感。健気で、努力家で、嫌いになる要素が何もない。ホモサピエンス的に嫌いになることは難しいです。
「三体」の暗黒森林理論と真逆の思想
この映画の核心は、ファーストコンタクトものでありながら「対話を通じて手を取る」という選択をしているところです。そのジャンルは実は少ない。
『メッセージ』という映画も対話を通じて手を取る話でしたが、どうやってもあの誤解が生まれるんや、という感じの展開がありました。大好きな映画ですが、その点では釈然としないものがありました。プロジェクト・ヘイルメアリーは、もっとシンプルに、対等な立場でちゃんと手を結ぶ。
「三体」の暗黒森林理論という考え方があります。知的生命体を見つけたら、安全かどうかわからないから先に攻撃するしかない、という論理です。それと真逆のアプローチで、とりあえず対話から始めてみる。それがこの物語の骨格になっています。そこが、他のSF作品と決定的に違う。
映画と原作、ラストの決定的な違い
展開そのものは変わっていません。でも、原作と映画ではラストの「質感」が全然違います。
映画では、グレースが「地球に帰るか、ロッキーを助けるか」という2択に直面する場面が、ある程度あっさりと描かれます。原作は違います。地球にいたときから「勇気を出せない」という描写が積み重なっていて、その文脈の中で「後悔しない方を選ぶ」という選択が生まれます。どちらを胸に当てたら晴れるか、という感じの、内側からの決断です。映画でもその選択の重さは伝わりますが、説明の厚みは原作の方が圧倒的にあります。
もう一つ決定的に違うのが、地球サイドの描写です。映画には、南極らしき場所で実験が始まり、老けたサンドラが笑顔でグレースとロッキーの映像を見ている、というシーンがあります。原作にはありません。完全にない。
原作では、地球がどうなったかは直接わかりません。ただ、科学者たちと話す中で「あなたが元々いた太陽系からアストロファージの反応がなくなりました」という報告だけ受けます。遠くから観測した限り、どうやら救われたらしい。映画のように映像では見せない。その代わり、「みんなきっと頑張ったんだろうな、自分がやったことは実を結んでくれたんだな」という落とし方で締めます。
映画のサービスカットをどう評価するかは分かれるところでしょう。蛇足と見る人もいるし、「地球が救われた」という描写をどこかに入れないとバランスが取れない、という判断も理解できます。個人的にはサービスカットとして素直に嬉しかった。ワーっというほどではないですが、出てきたな、という感じ。
エヴァというキャラクター
今回の映画でサンドラさんがとにかく魅力的に描かれていました。シゴデキで冷徹かと思いきや優しさも漏れてくる、という塩梅がいい。奥行きがあります。
カラオケのシーンはライアン・ゴズリングの声が綺麗だと監督が気づいて急遽入れたらしく、当然原作にはありません。原作にも食事を共にするような場面はありましたが、歌うシーンはなかった。原作勢からするとやりすぎでは、という声もあるかもしれませんが、あのシーンのおかげでエヴァさんへの好感が増した面もあります。原作より人間味が増している感じは確かにあって、プレッシャーの重さと優しさが同居している描き方が映画の方がわかりやすい。彼女が途中でグレースにとんでもないことをしますが、あれもみんなの命がかかっているんだという立場から来ていて、やむなし、というか、本人にとってはやむなしじゃないけどやむなしみたいな、そういう複雑さがちゃんとあります。
省略されたものとして、周りの宇宙飛行士や科学者との交流も挙げておきたい。原作ではプライベートの話をするような場面もあってもう少し厚みがありましたが、映画では一気に削られています。特に問題はないですが。
ビートルズと、説明されない秘密兵器
映画の中盤、突然フィン・ファンネルのようなものが飛んでくるシーンがあります。あれが何なのか、映画だけ見た人には説明がありません。
原作ではあれを作った研究者が登場します。その人がビートルズ好きで、4体にジョン、ジョージ、ポールという名前をつけていて、だからビートルズの曲がかかります。映画ではその背景が丸ごと省かれているから、なぜビートルズなのか、誰が送ってきたのか、まったくわからないまま進みます。
グレースは元々地球に帰れない予定だったので、研究成果はあの装置に乗せて送るしかない、という設計です。原作を読んでいないと、ここは置いてけぼりになる可能性が高い。
相対性理論と放射線、使われなかった知性の話題
英語版字幕なしで見たので100%ではないですが、気になった点があります。映画の中でロッキーは相対性理論を知らないという描写がありました。放射線は物語の終盤に絡んできます(放射線で死ぬかもしれないロッキーが、というくだり)。ただ相対性理論の方はしっかり物語に絡んでこなかった印象がありました。
原作では、グレースとロッキーの時間の感覚がそもそも違うという話が出てきます。1時間の長さが違う、だから時間の単位を揃えるというやり取りがあります。地球時間の1日、という概念の話です。ウラシマ効果も実際に発生していて、地球側で恋人と過ごした期間が180年になっていた、という話も出てきます。映画でそこがどう処理されたか、もう一度確認したいところではあります。
先生に戻るというオチ
物語の構造として、日常から非日常に行って日常に戻るというのが基本のかたちです。この映画、戻らないと思わせておいて、結局戻ります。先生という仕事に戻る。そのオチが素晴らしかった。
復縁したかもしれない、救われたかもしれない、というぼんやりした余韻ではなく、ちゃんと救いがあります。マイナスがプラスになっていく流れが全体を通してあって、終わり方がとにかく気持ちいい。
24時間分を2.4時間に圧縮した映画化として、入口としての完成度は高いです。原作を読んでから見るとテンポのよさに驚くし、映画から入って原作に手を伸ばすと、省かれたモノローグや伏線の厚さに圧倒されます。どちらから入っても、損はない作品だと思います。



