#105 東村アキコ先生!あなたの「かくかくしかじか」のせいで一人の青年が東京で先生になり、教師の切なさを知りました!
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マンガ「かくかくしかじか」を読んで人生が変わった男が、東村アキコ先生へ感謝の言葉を述べています。あなたの人生に影響を与えたマンガや作品はなんですか?もしあれば、ぜひ教えてください。
Youtube版:https://youtu.be/XeoLvjerbL4
目次
目次とチャプター
- 0:00 オープニング
- 3:00 東京大学物語を読んで東京の大学に行きました
- 5:00 かくかくしかじかを読んだキッカケ
- 8:00 学校の先生がキライでした
- 11:45 「かくかくしかじか」が面白い理由3つ
- 17:50 先生になって思った切なさポイント
- 23:30 先生の仕事は忘れられる事
- 28:00 「描け」に込められた想い
- 33:30 進撃、悪の華、ファイアパンチは10代が読んだらヤバそう
- 36:10 まとめ
「かくかくしかじか」のあらすじ
物語は、宮崎に住む東村アキコ先生が大学受験をし、大学に進学し、社会人となり、最終的に漫画家になるまでの経験を描いています。
高校生の時に出会った日高先生が、人生のターニングポイントで登場します。
「かくかくしかじか」の何が面白いか
かくかくしかじかはなぜ支持を受けるのか、ネタバレしない範囲で3つ紹介します。
一人の女性の成功譚である
面白さの要素は、いくつかありますが、まず最初に挙げられるのは、これが一人の女性の成功物語であることです。
物語を読む段階で、東村アキコ先生が既に漫画家として成功していることが分かり、読者は安心して彼女の物語を楽しむことができます。主人公が何者かへと成長していく過程が描かれており、多くの読者に共感を与えます。
若さ(大学時代)を無駄に過ごした後悔
もうひとつの重要な要素は、若さを無駄に過ごしたことに対する後悔です。
物語の中で、美大に通っていた4年間について、楽しい時期ではあったものの、それをもっと有効に使えたのではないかという後悔が語られます。この後悔は、多くの人に共感を呼び起こし、読者は自分自身の人生を重ねます。
私にとっては、大学も行かず、友達とも会わずに、気絶するまで続けた「信長の野望」ですが。人によってはギャンブル、酒、人間関係だったりすると思います。
舞台が宮崎である
最後に、物語の舞台が宮崎であることが魅力の一つです。
宮崎出身の読者にとって、特に感情移入しやすい要素であり、地元の風景や場所が物語に組み込まれています。
宮崎市内の高校に通っていた私は、全ての風景に見覚えがあり、人一倍刺さる事になりました。
教師という仕事の切なさ
ここからは、実際に私が教師と呼ばれる仕事に就いて、気付いてしまった切なさについてお話しします。
教師の仕事は、非常に切ないものです。その理由を説明します。
終わりを前提とした密な関係
まず、教師という仕事は、終わりが見えている密な関係です。言い換えれば、別れを前提とした関係です。
生まれてから成長する過程で、学校は起きてる時間の大部分を占めます。子供が社会に出る前は、家庭、学校、友情がほぼ世界のすべてです。つまり、学校との関係は非常に密接なものです。
ただし、この関係には明確な終わりがあります。別れがあるべきです。
他の関係は永続的なものが多いのに対して、教師の関係は別れを前提としたものです。
これは不満というわけではありませんが、単に事実です。
決して最上位にはなれない距離感
二つ目の切なさは、教師は最上位になれないということです。最上位にはなれない点です。
家族、友情、恋愛の関係には勝てません。他の関係より優先されることはありません。
教師として、生徒のために全力を尽くすという覚悟があります。第二の親のような立場になる覚悟を持って挑むものの、最終的には家族や他の関係には及びません。
これが第2の切なさです。
儀式としての卒業式
私も元生徒から、時折お茶に誘われたり、感謝の手紙をもらうことがあります。
ただし、これらは儀式の一つだと思ってます。儀式を経た後、関係はもはや存在しません。
忘れてもらうことが大切なのです。教師としての存在は、忘れられることが前提です。ただ、人間としてはこの切なさを不意に感じる瞬間があります。
これが「かくかくしかじか」を教師としての視点で見たものです。
この話を通じて、教師という仕事がどのようなものか、少し理解できたでしょうか。
別れの儀式をしなかったアキコちゃん
この点から見ると、「かくかくしかじか」の物語に登場する東村アキコさんと日高先生の関係について、一つのことが言えます。
この物語の中で、二人の関係には、別れの儀式が存在しませんでした。
関係性を壊すことを避けるため、または恐れから、関係を適切に終わらせなかったのかもしれません。
先生になることと続ける事
人が教師を目指す時、「自分と同じ想いをしてほしくない」から始め、「自分と同じ思いをしてほしい」から続けるのだと思います。真逆感情で人は教師になり、教師であり続けるのです。
日高先生で例えば、
自身が美大に行けなかった経験から、多くの子供たちに同じ経験をさせたくないという想いで絵画教室を始めます。
教師であり続けること
教師になることと、教師であり続けることは、異なる次元の話です。
日高先生が教師を続ける理由は、子供たちに「描く喜びを知ってほしい」だと思っています。
描く喜びを知るためには、一定期間トレーニングしてスキルをあげなかればいけません。絵を描くことに対する情熱や喜びを知るために、訓練は必要です。
「描け」は「頑張れ」だったんじゃないか説
この作品でよく使われる重要なセリフ、「描け」という言葉があります。
私は「描け」と書いて「頑張れ」読んでいます。
この「頑張れ」という言葉は、実は非常に難しい言葉です。教師としては、簡単に使えない言葉です。
「頑張れ」の代わりに、具体的な方法として「描け」と声をかけていたと思います。
何度読み返しても心に響くセリフです。
10年以上を経た卒業の儀式
物語の中で、5巻で起こった出来事は2000年代前半です。
そして、漫画が連載されたのが、2010年代前半です。
つまり、実際に起きた約10年後に「かくかくしかじか」は描かれました。
この期間、しっかりと過去と向き合ってきたことが、物語の中でも描かれます。
この漫画を制作する過程がその儀式だったのかもしれません。そう考えると、なかなか興味深いです。
人生に影響を受けたマンガ
おまけとして、自分の人生に影響を与えたマンガを各年代で紹介します。
あなたの人生に影響を与えたマンガ3選もぜひ教えてください。
10歳になる前
10歳になる前に影響を受けたのは、ガモウひろし先生、えんどコイチ先生、衛藤ヒロユキ先生。
10年代
10代は江川達也先生、手塚治虫先生、古谷実先生。
10年代の時に読んでたらヤバかったかもしれないマンガ
ちょっと変化球ですが、進撃の巨人、悪の華、ファイヤパンチは思想書的な側面があり、10代の時に読んでたら影響を受けて違う人生だったかもしれません。