#105UG 永野芽郁主演映画「かくかくしかじか」は無事公開されるのか?! ~ 東村アキコ先生!あなたのせいで一人の宮崎県人が東京で"センセイ"になり米国へ飛びました!
Podcast: Play in new window | Download
Subscribe: Apple Podcasts | Amazon Music | Android | RSS | More
2025年5月16日、東村アキコ先生の自伝的傑作漫画『かくかくしかじか』が永野芽郁さん主演で映画化され、公開を迎えます。
多くのファンが待ち望む中、
- 原作への想いが強い
- 海外在住で物理的に見れない
ことが理由で劇場に行くことが叶いません。しかし、この映画化は、私にとって人生の転機となったこの作品について、改めて語る絶好の機会だと感じています。
この物語は、宮崎で生まれ育ち、一度は東京で会社員として消耗しきっていた私が、『かくかくしかじか』という一冊の漫画と出会い、人生の針路を大きく変え、今では英語教師として働き、さらにはアメリカへ渡ろうとしている——そんな波乱万丈(?)な私の実話です。
目次
東京砂漠での消耗、そして故郷からの贈り物
私の人生は、これまでにもいくつかの漫画作品に影響を受けてきました。10代の頃は手塚治虫先生や江川達也先生、古谷実先生といった巨匠たちの作品に熱中し、『東京大学物語』を読んで東京の大学を目指したほどです。
大学卒業後、私は東京で就職しました。しかし、期待とは裏腹に、待っていたのは「東京砂漠」とも呼べる消耗の日々でした。厳しい環境の中で心身ともに疲弊し、「地元宮崎に帰ろうか」と考えるようになっていた、そんな時です。
友人が、一冊の漫画を貸してくれました。それが、東村アキコ先生の『かくかくしかじか』でした。
宮崎を舞台にした、漫画家を目指す不器用な女子高生・明子と、彼女の才能を見抜き、厳しくも愛情深く指導する絵画教室の先生・日高先生との師弟関係を描いた物語。読み進めるうちに、私は強い衝撃を受け、気づけば「先生になろう」と決意していました。
かつて先生を「つまらない」大人だと思っていた
正直なところ、かつて私は学校の先生のことを「つまらない」と思っていました。一般論ばかりで、面白みに欠けると感じていたのです。もちろん、先生という立場では仕方ないことですが、「自分ならもっと面白い授業ができるのに」と傲慢にも考えていた時期がありました。
自身の性格や適性を考えると、学校の先生は難しいだろうと感じていましたが、『かくかくしかじか』を読んで、「学校の先生だけが『先生』ではない。人に教えるという立場の仕事は様々あるんだ」と気づかされました。作中の日高先生のように、生徒一人ひとりに真剣に向き合い、彼らの成長を支え、「先生のおかげで今の私があります」と言われるような存在になりたい。そんな強い思いが芽生えたのです。
かくして、私は長年勤めた会社を辞め、教育分野の仕事へと転職しました。今は分かりやすく「英語の先生」と名乗っていますが、小学生から社会人まで、様々な人たちに「学ぶ喜び」を伝える仕事をしています。
教師という仕事の「切なさ」
実際に「先生」という立場になって、私はこの仕事の持つ独特な「切なさ」を身をもって知りました。
一つ目の切なさは、「別れを前提とした密な関係」であることです。生徒との関係は非常に密接ですが、そこには必ず卒業という終わりがあります。家族や友人、恋愛関係が永続を前提としているのに対し、教師と生徒の関係は最初から別れが決まっています。これは教師という仕事の宿命であり、特殊な点だと感じています。
二つ目の切なさは、「生徒にとって決して最上位にはなれない」ことです。どれだけ生徒の成長を願い、エネルギーを注いだとしても、教師が家族や友人、恋人といった存在を超えることはありません。生徒の人生において、教師は優先されるべき関係の「次」なのです。もちろん、これは不満ではなく、当然のこととして受け止めていますが、それでもどこかに切なさを感じずにはいられません。
この二つの切なさ、つまり「別れを前提とした関係」と「最上位になれない立場」は、『かくかくしかじか』で描かれる日高先生と明子ちゃんの関係性の中にも通底しているように感じます。
『かくかくしかじか』が人気になった3つの理由
『かくかくしかじか』にこれほどまでに惹きつけられた理由は、大きく三つあると考えています。
「成功譚」であることの安心感
この漫画は東村アキコ先生の自伝であり、読者は作者が漫画家として成功していることを知っています。そのため、主人公・明子が最終的に夢を叶えるだろうという安心感を持って読み進めることができます。
これは、物語の主人公が困難を乗り越え「何者かになる」姿を安心して見守れる、いわば「成功譚」としての魅力です。
「成功譚」であることの安心感
作中で描かれる、美大時代に漫画に打ち込まずに時間を浪費してしまったことへの後悔は、多くの読者にとって身につまされるテーマではないでしょうか。
私自身も、東京での消耗や、一人黙々と「信長の野望」に熱中していた時期を振り返り、「あの時もっと別のことをしていれば…」という後悔の念に駆られます。この普遍的な後悔が、作品に深みと共感をもたらしています。
「宮崎が舞台」であることの特別感
そして、私にとって何よりも大きかったのが、作品の舞台が故郷・宮崎であることです。作品中に描かれる風景や人々の描写は、全て私にとって見慣れた、あるいは心当たりのあるものでした。
空港、海、街並み…漫画の中に、見慣れた景色が挿絵のように現れるたび、強い現実感と共感を覚えました。他の町が舞台だったら、ここまでの影響は受けなかったでしょう。
「書け」— に込められた「頑張れ」
日高先生の口癖であり、この作品の象徴的なセリフが「書け」です。「何があっても、どんな状況でも、書け」と生徒に言い続けます。
教師として「頑張れ」という言葉を安易に使えない難しさを知っている私には、この「書け」という言葉が、単なる行動の指示以上の意味を持っているように感じられます。それは、「目の前のこと、今できることを、全身全霊でやりなさい」「あなたにはその才能があるのだから、それに蓋をするな」という、日高先生なりの「頑張れ」であり、生徒の可能性を信じる強いメッセージだと受け止めています。このセリフが出てくるたび、私の涙腺は緩んでしまいます。
感謝
『かくかくしかじか』は、消耗していた私の心を掴み、人生の新たな方向を示してくれた、まさに恩師のような作品です。この漫画を読んでいなければ、今の私はなかったでしょう。
東村アキコ先生、本当にありがとうございます。この感謝の思いが、いつか先生に届くことを願っています。
私は今、英語教師として充実した日々を送っていますが、近いうちにアメリカへ渡る予定です。思えば、宮崎で『かくかくしかじか』に出会い、「先生」を目指して東京へ踏みとどまり、そして今、アメリカ生活をしています。まさに一冊の漫画が導いた、想像もしなかった人生です。
今回の映画化を機に、多くの方がこの素晴らしい原作漫画を手に取ってくださることを願っています。特に一度読んだことがある方にも、ぜひ再読をおすすめします。年齢や経験を重ねてから読むと、また違った発見や感動があるはずです。
あなたにとって、人生を変えた一冊はありますか?
そして、これを読んでいるあなたにも、きっと人生に影響を与えた作品があるのではないでしょうか。それは漫画でも、小説でも、映画でも、音楽でも、あるいは人との出会いでも良いかもしれません。もしよろしければ、あなたにとって人生を変えた作品を教えていただけると嬉しいです。
人生に影響を受けたマンガ
おまけとして、自分の人生に影響を与えたマンガを各年代で紹介します。
あなたの人生に影響を与えたマンガ3選もぜひ教えてください。
小学生
10歳になる前に影響を受けたのは、ガモウひろし先生、えんどコイチ先生、衛藤ヒロユキ先生。
中高生
10代は江川達也先生、手塚治虫先生、古谷実先生。
10年代の時に読んでたらヤバかったかもしれないマンガ
ちょっと変化球ですが、進撃の巨人、悪の華、ファイヤパンチは思想書的な側面があり、10代の時に読んでたら影響を受けて違う人生だったかもしれません。